『昭和天皇実録評解2』

小田部 雄次


定 価: 815円
発売日: 2017年3月1日
判型/頁: A4判変型 並製 108頁
ISBN: 9784906822713

●『昭和天皇実録』の第五~第九の記事のなかから重要事項を抜粋整理し、歴史の流れを理解できるよう工夫した。
● 難読人名や事件・事項・歴史用語などに「ふりがな」を付し、詳細な注記や解説を加えた。脚注を読むだけで昭和戦前期の時代の雰囲気が分かる。

第一部 ◉昭和改元から盧溝橋事件へ(1926 ~ 1937·6)
・第1章 大正から昭和へ(1926 ~ 1929)
・第2章 軍拡派の台頭(1930 ~ 1933)
・第3章 暴走する軍国主義(1934 ~ 1937·6)
第二部 ◉盧溝橋事件から対米英開戦へ(1937·7 ~ 1941)
・第4章 日中全面戦争(1937·7 ~ 1939)
・第5章 行きづまる中国戦線(1940 ~ 1941)
第三部 ◉開戦から敗戦へ(1942 ~ 1945·8)
・第6章 緒戦の勝利(1942 ~ 1943)
・第7章 大日本帝国の崩壊(1944 ~ 1945·8)

<大元帥・昭和天皇はいかに戦ったか>

 『昭和天皇実録評解』第2巻は、大正天皇の崩御からアジア・太平洋戦争の終結までの時期をあつかった。歴史研究者のみならず多くの人びとが一番関心を持つ時期であり、原本に記載された情報量も豊富である。
 そして政治や軍事の表裏の話題のみならず、対外戦争を拡大していった軍人たち、軍部に対応する宮内省の官僚や政治家のたちの動向、昭和天皇自身の言動や内面、日常のライフスタイル、家族との交流など、多岐にわたる記事が満載されていて、従来の昭和天皇像や昭和史像に新たな見方を与えてくれる。それだけに、この二十年分の記録を一冊本にするには、どの記事を残し、削除するかに苦労した。
 政治や軍事の表裏の話題は、大正から昭和への改元の諸儀式、田中義一内閣における張作霖爆殺事件への対応、ロンドン海軍軍縮条約締結をめぐる騒擾、満洲事変勃発前後のテロ・クーデター事件と諸勢力の動向、盧溝橋事件以後の日中戦線、対米開戦へ向かう曲折、開戦後の戦局、そして戦争終結と、激動の時代の内情が示される。

<国家元首としての使命と想い>

 こうした軍拡化する時代のなかで、どうして当初は平和主義を掲げていた昭和天皇が軍部の出兵を認可するようになったのだろうか。
 その最大のポイントは、邦人保護であった。当時、中国東北部や上海などに多くの日本人が生活していたが、事変の勃発でこれら邦人の身辺が危険となり、それを保護するための出兵を天皇は拒否できなかった。国家元首として同胞の危機に手をさしのべないわけにはいかなかったのである。
 ある意味、昭和天皇の平和主義は、ナショナリズムによって崩されたともいえる。もちろん、出兵を認可してのちも早期和平を願っていたのだが、結局は負け戦になることは避けたかったため、和平の機会を逃し続け、焦土となるまで軍部を抑える術を持ち得なかった。
 天皇は戦争指導を進めながら、生物学研究は継続し、ゴルフはやめたがテニスや水泳はしていた。戦時中に皇居にテニスコートやプールを設置したのである。当然、天皇は周囲に遠慮したが、戦時下ゆえの健康管理のためとの側近の勧めで、皇后や家族たちと楽しんだ。
 毎晩のようにニュースのほか、文化映画、ときに大相撲も見ており、戦時中にミッキーマウスも見たのである。天皇の見た映画の一覧とその内容を分析するだけでも、おもしろいと思う。
 葉山御用邸での生活や、陸海軍大演習、地方行幸での詳細なスケジュールもよくわかる。親族である皇族軍人たちとのやりとりも見逃せない。
 一冊に凝縮したので、昭和天皇がいかに戦ったのかの流れは容易につかめると思う。

●小田部 雄次(おたべ・ゆうじ)

1952年、東京都生まれ。立教大学文学研究科博士課程満期退学。現在、静岡福祉大学教授。専門は、日本近現代史、とくに近代皇室研究。

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