『倭国創世紀』
ーーヤマトタケルの物語
伊達 興治
日本列島内に連合政権の基礎を固めるべく東奔西走したヤマトタケル30年の壮絶な生涯を丹念に描くスペクタクル巨編
■本書の特色
◉陸戦、海戦など迫力ある戦闘シーンを著者の体験に基づいて詳述する。
◉恋愛や友情など、ヤマトタケルを取り巻く人間関係を綿密に描く。
◉難読の人名などにルビを付し、地図や写真も多用しており、理解しやすい。
第一部─その流転の青年時代
一、物部氏の追及を逃れて
二、小碓、いよいよ大和の表舞台へ
三、熊襲、西出雲征討の旅
第二部─建国の礎たらんとして
一、行く手に立ちはだかる駿河勢
二、陸奥へ向けた東征軍の進発
三、上総勢との激突、そして和解
四、蝦夷勢の開明派と武闘
五、毛野勢、諏訪勢との対決
六、ひそかに進む反対派の策謀
<『倭国創世記〜ヤマトタケルの物語』を上梓するにあたって>
【国を思う 日本武尊の大志を】
私の著作の意図するところは、わが国の成り立ちにもっと関心をもっていただきたい、ということに尽きます。換言すれば、『古事記』や『日本書紀』に書きしるされたことごとから、わが国の草創期の風景に想いを致してもらいたいということです。
私たちの世代は、敗戦直後の貧困にさらされるなかで、欧米の豊かな文化に圧倒されて育ちました。私は、以来、「日本人とは何か」「日本文化とは何か」とその独自性を求め続けてきました。そして、日本の成り立ちに深い関心を抱くようになりました。
武(タケルノ)尊(ミコト)の活躍した時代は、四世紀の半ばにかけてです。大和国(やまとのくに)の王は、倭(わの)国(くに)(後の日本国)の盟主に収まっていたものの、その勢力圏は、東に向けては、関東近辺までというにとどまっていました。しかも、倭国の辺境にあたる関東北部から東北にかけては、様々な先住民が居住していました。
他方、大陸では、晋王朝の衰退に乗じて高句麗が強勢となり、朝鮮半島を南下し、新興の百済や新羅に戦いを挑むという情勢にありました。倭国にとっても、朝鮮半島の南端に築き上げてきた権益がおびやかされる懸念が出てきました。こうした事態を乗り切るためには、大和王権を核とする連合政権の基礎を固め、統一した国家意思のもとに行動することが要請されます。武尊は、その枠組みを創るべく東奔西走したのです。
私がこの物語の構想を練りはじめてから、すでに七、八年になります。わが国の漠とした黎明期の景色に溶け込むには、かなりの勇気と根気がいります。なかでも苦労したのは、その時代の地勢や風俗の把握、移動手段の実情の確認、それに戦闘場面の描写です。
馬が導入されたのは、考古学的には、もう少し時代が下るとされています。
しかし、当時、朝鮮半島から多くの人びとが渡来しており、倭人も半島との間を頻繁に往来しておりました。こうした状況から考えて、中型の骨格をもつ馬がすでにわが国に入っていたというように考えることにしました。また、船についても、太平洋岸を陸奥(みちおく)まで船団を組んで渡航するわけですから、帆を張り、櫓を使っていたという前提に立って話を進めることにしました。
北方民族由来の儀礼や習俗については、私の北海道における見聞が土台になっています。また、本書では、戦闘の場面が数多く出てきますが、個人技にせよ、兵術にせよ、これもまた私自身の経験が役立ったと思っております。ただ、海戦については、多大な構想力を駆使しなければなりませんでした。
●伊達 興治(だて・おきはる)
1940年生まれ。66年、東京大学法学部卒業。警察庁入庁後、警視庁警備部長、千葉および北海道警察本部長、警察庁警備局長を歴任。日本製鐵株式會社などに在籍。東大拳法会会長。