『赤れんがものがたり』
今井 清二郎
富岡製糸場は郷土の誇りです。
その製糸場が世界遺産に登録されるまでの142年間のおはなしが絵本になりました。
第1話 官営工場、富岡に決まる
第2話 朝日に映える赤レンガ建物
第3話 全国から集まった工女たち
第4話 皇后・皇太后の行啓
第5話 世紀を超える歴史ものがたり
各話にコラム・クイズ付き
理解を深める資料編14 ページを巻末に掲載
<赤れんがへの想い>
群馬県には戦後二二年に制作された「上毛かるた」があります。県内の名所・旧跡、名産品、偉人などを詠み込んだもので、毎年小学生中心にかるた取り大会が開かれています。群馬県人ならだれもがすべての読み札を暗唱しているほど普及しています。このようなかるたは全国的にも珍しいようで、他県の人に話すと羨ましがられます。
その中に「日本で最初の富岡製糸」という一枚があり、私は小学生時から富岡製糸場の存在を知ることになりました。さらに高校時には製糸場北通りにクラスメイトの家があり、放課後よく訪れた私は枳殻(から たち)の垣根の南にもくもくと煙を吐く煙突、巨大な赤れんが建物などに目を見張りました。
そして青年時には「鏑254コミュニティ委員会」を結成し広域の運動に取り組み、三年間活動しました。最終的に県知事に「提言書」を提出したのですが、その中の観光分野で「富岡製糸場は当地域最大の観光拠点である」と位置づけたのです。当時は片倉工業さんが操業中で当地でも初めての位置づけとなりました。その後青年会議所の後輩たちが「赤れんが写生大会」「ザ・シルクデー」という三〇年を超える事業を継続し、片倉工業さんとの絆をつないでくれたのです。
私は、富岡製糸場を知れば知るほど、将来は観光拠点になる以外にないと確信していました。当時から文化庁は重要文化財指定の意向を持っていましたが、現役工場でもある片倉さんの理解が得られなかったのです。しかし壊すわけにはいかない、他の施設に転用もできない文化財です。私は、必ず将来観光施設になるならば今できることをすべてやっておこうと考えました。
最初に取り組んだのは『赤煉瓦物語』の出版でした。発行されたのは昭和六一年で、片倉工業さんが操業停止を発表する一年前のことでした。
さらに時が経過して平成一五年、群馬県知事が「富岡製糸場ユネスコ世界遺産構想」を発表しました。その後、平成一八年に富岡市長を退任した私はその翌年から五年をかけて『赤煉瓦物語』を原典に紙芝居を制作したのです。富岡製糸場の歴史・意義・価値を広く知っていただきたいとの趣旨で、全五話の「赤れんがものがたり」でありました。この紙芝居は好評で製糸場関係のイベントや要望に応じて各地各場所で上演活動を続けております。
そして、私の最終目標が紙芝居を元とする絵本『赤れんがものがたり』の出版でした。このたび、敬文舎によって発刊の運びになり念願が叶いました。
●今井清二郎(いまい・せいじろう)
日本の政治家。富岡市長を務めた。群馬県出身。明治大学商学部産業経営学科卒業。