『孫文と北一輝』
ーー〈革命〉とは何か
八ヶ代美佳
西欧諸国に対峙する中国と日本は、 共通の危機意識を持っていた。 孫文と北の実像に、新史料をもとに迫る!!
序 章■二人の革命家―孫文と北一輝
第一章■北一輝の革命前夜―《社会民主々義》の理想
第二章■孫文の革命前夜―辛亥革命の根本義
第三章■孫文が夢見た新中国――独自の《民主立憲制》の再構築
第四章■北の《革命》構想の変容――『支那革命外史』
第五章■孫文と北一輝の〈革命〉構想
終 章■「革命」とは何か
<孫文と北一輝との出会い>
「中国革命の父」と呼ばれる孫文と、「日本ファシズムの教祖」と呼ばれる北一輝。現代において正反対の評価が下されている両者の思想を比較したこの本を書くことになった、そもそものきっかけは何だろうかと思い返してみると、それは学部三回生のころ、フィールドワークで神戸華僑歴史博物館を訪れたことにさかのぼる。
当時の副館長から神戸華僑についての解説を聞き、国際貿易都市神戸の発展に彼らが深く関わっていたことをはじめて知った。神戸が地元でありながら、神戸華僑について何も知らずにいたことが恥ずかしく、彼らと日本人実業家が一九一七年に共同設立した親善団体「神戸日華実業協会(原名は神戸日支実業協会)」を卒業論文のテーマとして選んだ。この卒業論文を書くうちに気づいたのが、神戸における孫文の影響力の強さであった。
孫文と神戸のつながりは深く、一八九五年一一月以来少なくとも一七回神戸に立ち寄っている。そのなかには、彼が第二革命に失敗して日本に亡命してきた際、神戸日華実業協会の幹部であった松方幸次郎らがリスクを承知のうえで孫文を匿ったことも含まれる。
<二人の「革命」構想>
このような神戸と孫文の繋がりに興味を持ち調べはじめたが、興味の対象は孫文の「革命」構想へ、そして孫文ら革命派と対立していた梁啓超の「改革」構想へと広がっていった。その結果、修士論文は梁啓超の「改革」構想との比較分析を通して神戸華僑と孫文のつながりについて考えるという、およそ日本史専攻とは思えないテーマに行き着いた。
そして大学院の後期課程に進み、出会ったのが北一輝の『支那革命外史』である。当初は「二・二六事件の黒幕といわれた北一輝が辛亥革命について本を書いているのなら読んでみようか」という程度の軽い気持ちであった。
しかし読み進めるうちに、『支那革命外史』の前半部と後半部で北の主張が大きく変化していることに驚き、また変化した後の北の主張が辛亥革命後の孫文の「革命」構想と酷似していることに興味を覚えた。
そして一九〇六年に執筆した処女作『国体論及び純正社会主義』、一九一九年に上海で執筆した『国家改造案原理大綱』と読み進め、北の思想を分析するうちに、『支那革命外史』のなかで彼の主張が大きく変化したことには、孫文と同じように、辛亥革命に始まる中国革命を直接経験したことが深く関係しているという結論に達した。
この結論を踏まえ、「革命とは何か」という問題意識のもと、孫文と北一輝の「革命」構想の比較・分析を通して主観的側面から近代における「革命」について考察する、というのが博士論文のテーマとなった。
こうした研究の積み重ねのうえに、『孫文と北一輝―〈革命〉とは何か』がある。
●八ヶ代美佳(やかしろ・みか)
(奈良女子大学)日本近代史専攻。