『古代日中関係の展開』
森 公章
遣唐使事業終焉後の古代対外関係の展開と実態を描く!
遣唐使事業の廃止後、日中間の交易は、僧侶や商人たちに支えられた。彼らの生活と外交の実態に迫る。
◉遣唐使とその変化
◉9世紀の遣唐使
◉寛平度遣唐使計画をめぐって
◉巡礼僧の時代
◉商客の来航と様態
◉日本朝廷の対外政策
◉入宋貿易の展開
◉外交案件への対処と外交感覚
◉古代対外関係の行方
<「遣唐使以後」から日宋貿易へ>
私は記憶のかぎりでは某公共放送の大河ドラマを第二回目の義経からずっと見ている(もっとも、戦後を扱った回は見なかった)。
近年は「歴女」ブームも喧伝されたが、最近では「スー女」(相撲女子)の方が優勢であるのか、また、そもそも娯楽の多様化によるのか、大河ドラマの視聴率は苦戦しているようである。
最低云々が引き合いに出されるときに言及されるのが、数年前に放映された平清盛を主人公にした回である。
これは従来の『平家物語』史観を修正する歴史像を呈するものであったが、「画面が暗い」「服装が穢い」「人物関係が複雑」など評判が悪く、大河ドラマ退転の画期と位置づけられている。
清盛の死後、平家がなぜあっけなく滅びたのかを考える上で、平氏一族の複雑な関係、後白河法皇や貴族たちの意外に粘り強い権力など、新しい研究成果が反映された玄人好みの内容であったのに。
ただし、『平家物語』でも「九郎は色しろう、せいちいさきが、むかばのことにさし出でて、しるかんなるぞ」と描かれ、短躯で出っ歯というあまり風采の挙がらない義経を、美形の男優が演じるところは後世の『義経記』の影響をなお脱していない。
また平家は日宋貿易を経済的基盤としたという教科書的説明、交易を独占、博多の繁栄を神戸に移すために大輪田泊を修復し、海洋国家の建設を構想したというのはどうか。
<摂関期の交易>
古代日本の対外関係では遣唐使の評価が高く、日宋貿易をめぐる通説では、旧守的な貴族と新時代を切り開く清新な武士という対比からか、摂関期は「受動的貿易の展開」、平氏政権に至って「能動的貿易の展開」がはじまるとされている。
しかし、これは本当なのであろうか。大輪田泊で貴族が交易を行ったのは一回くらいであり、平氏の交易掌握についても疑問とする研究が呈されている。
また遣唐使が二〇年に一回の通交であったのに対して、その後の中国商人の来航ははるかに頻度が大きいから、通交の規則を確立する上で、教科書や概説書でも論究不足の摂関期の対外政策は、さらに解明が求められる論点である。
私は一九九八年に最初の対外関係の論文集をまとめた前後から、次なる課題として、一〇七二年に入宋した成尋の『参天台五臺山記』の読解に取り組み、渡海僧、来航商人の様態、朝廷の対外政策などを検討してきた。
斯界でも多くの研究が蓄積されており、本書を手にとり、この「遣唐使以後」の展開を知っていただければと思うところである。
●森 公章(もり・きみゆき)
1958年、岡山市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。奈良国立文化財研究所、高知大学助教授を経て、現在、東洋大学教授。専門は日本古代史。著書に、『天智天皇』(吉川弘文館)などがある。