『江戸の平和力』
ーー戦争をしなかった江戸の250年
高橋 敏
江戸の250年には、平和を創造していく時代の意志が力となってはたらいていた!
◉序章 乱世の記憶と平和への願い
◉第1章 田畑を所有し家を建て先祖を祀る
◉第2章 一人前と読み書き算用—後継者の育成
◉第3章 拝領と献上—贈答・互酬の社会
◉第4章 紛争とその収拾
◉第5章 支配秩序とアウトロー
◉第6章 結社とネットワーク社会の江戸
◉第7章 旅する人びと
◉終章 辞世を刻む
<『江戸の平和力』を脱稿して>
敗戦後七〇年、大変な事態に直面している。
憲法改正の手続きを無視して九条を骨抜きにし、この国の形を戦争する国に引き戻そうとする、周到かつ巧妙に仕組まれた「安保体制」なる詐術が、罷り通ろうとしている。
自分史とともにあった戦後七〇年の平和が、あれよあれよという間に風前の灯となったいま、日本史上二世紀半ものあいだ戦争のなかった江戸の平和が、思わず脳裡をかすめた。
<「江戸時代研究者」として>
そして、こんな時代だからこそ、江戸時代史にかかわって半世紀、一研究者として、戦争がない平和の時代と社会を、支配権力論や発展段階論のドグマから離れ、考え直すチャンスではないのか、と思い立った。
桎梏の身分制度と全剰余労働搾取で塗りつぶした近世を全面否定してできあがった栄光の近代の頂点、大日本帝国こそが他国を侵略し、何百万もの戦死者・爆死者を内外にまき散らし、今日なお霊魂が異国異郷をさまようといった、厳とした歴史的現実を招来したのではなかったのか。
では、江戸時代はなぜ平和になったのか。江戸時代は戦国乱世の訣別からはじまった。万民挙げて天下泰平を渇望していた。
それにしても、いまのようにたった七〇年にして崩壊することなく、かくも長期に渡って平和がつづいたのはなぜか。鎖国のせいばかりにしていては、平和の本質を見誤ることになる。
<「江戸の平和力」を考える>
江戸時代が二世紀半もの長い間、平和がつづいたそのなぞは、江戸時代の内奥に隠されているはずである。支配組織内部にも、民間の暮らしのなかにも、社会を有機化する結びつきのなかにも潜んでいる。
思いつくまま、かつてのフィールドワークの跡をたどりながら、列挙してみたのが、本書の構成である。
第一章、家を建て先祖を祀る暮らし、
第二章、御家流の文字を共有する読み書き算用の社会、
第三章、拝領と献上のソフトな武家社会と贈答互酬の民間社会、
第四章、紛争の円滑な収拾システム、
第五章、アウトローとの巧みな棲み分け、 第六章、身分を越えた結社とネットワーク社会、
そして第七章、そこには自由に旅する人がいて、
終章、平穏の一生を一句・一首の辞世で締めくくる百姓がいた。
<戦争を拒絶することから>
江戸の平和は、戦争を拒絶する「天下泰平 国土安穏」の初心を万民が共有・貫徹し、平和の恩恵を享受することから成熟し、独自の文化社会を創造していったことで、保たれてきた。
戦争をしなかった江戸時代人の生涯の質を、生命の尺度で素直に見ていただきたいと願っている。
●高橋 敏(たかはし・さとし)
1940年静岡県生まれ。東京教育大学文学部卒、1965年同大学院文学研究科修士課程修了。1990年「近世村落生活文化史序説 上野国原之郷村の研究」で筑波大学文学博士。