『「生きること」の歴史学』

倉地 克直


定 価: 2,640円
発売日: 2015年03月13日
判型/頁: 四六判 上製 320頁
ISBN: 9784906822140

徳川日本の「くらし」と「こころ」から、現代社会のあり方を、とらえ直した渾身の一冊‼

◉歴史学とわたし
◉生きることとジェンダー
◉徳川日本のライフサイクル
◉徳川社会をどうみるか
◉人生を語る資料
◉災害を記録する
◉「身の丈」の歴史学―生活史と資料
◉「生きること」の歴史学・その後

<歴史学への初心>

 大学に勤めていると、毎年新入生を迎える。彼らはそれなりに歴史に興味を持っているが、歴史学というものには、ほとんど触れたことがない。そんな若者たちと「歴史学入門」の授業をする。
 授業では、何年かおきに同じテキストを扱うことがある。それでも毎回発見があり、そのときの自分の立ち位置を確認することができて、学生よりも自分に役立っているのではないかと、ありがたく思う。

<まずは歴史家研究から>

 大学に勤めていると、毎年新入生を迎まずは歴史家研究かられなりに歴史に興味を持っているが、歴史学というものには、ほとんど触れたことがない。そんな若者たちと「歴史学入門」の授E・H・カーの『歴史とは何か』はよく取り上げたテキストだ。最近はご無沙汰だったが、昨年取り上げてみて、やはり発見があった。
 カーは〈歴史の研究のためには、歴史家の研究をしなければならない〉ということを述べている。これは自分が歴史学を学びはじめたころから心掛けていることのひとつで、他人にもすすめている。
 カーは、その必要性を歴史学の性格から説明するのだが、学生はすぐには分からない。すぐに分からなくていいのだ。「歴史とは何か」という問いは、歴史学に取り組む限り、そのときそのときに考えざるをえないことだから、いつか「そのとき」に思い出してくれればいいと言って、授業を終える。
 卒業論文を書いた後、改めて修士論文に取り組む大学院生とは、そのことを少し実践的に考える。朝尾直弘さんとか、安丸良夫さん、深谷克己さんの著作集から各自が関心のある論文を選んできて議論する。
 各自の関心はバラバラだからまとまりがないようだが、議論を続けていると歴史家の姿がおのずと立ち上がってくる。院生は江戸時代を専攻しているものばかりではないから、黒田俊雄さんや遠山茂樹さんのものを取りあげることもあった。
 その体験を、歴史に取り組む習慣にしてほしいと思っている。

<歴史家は時代との格闘>

 「歴史家は時代の子である」とよく言われる。だから、歴史家の研究は時代の研究でもある。時代と歴史家との関係の研究でもある。歴史家は時代といかに格闘したか?もちろんマルク・ブロックのようなレジスタンスに殉じた人だけを言うのではない。一見「平穏」に見える研究のうちにも「時代との格闘」を読み取らなければ、歴史家の研究とは言えない。
 E・H・カーについてはジョナサン・ハスラムの『誠実という悪徳』という優れた評伝があり、これを読むと「歴史とは何か」をまた違う目で読めるし、『危機の二十年』などという著作は俄然精彩を放ってくる。
 同じことは歴史を学んでいる自分自身についても言える。しかし、自分で自分のことを研究するのは難しい。自分も「時代の子」なのだから、まずは時代と向き合うしかないのだが、見えるものは限られている。
 四〇年ほど前に歴史の勉強を始めたとき、「自分はいかに時代にとらわれているか」という問題から考えはじめてみようと思った。「近世の支配思想」というテーマはそうして選ばれたのだが、そのさい「民衆」の立場からということは放さないと思った。
 それからのヨタヨタした歩みが『「生きること」の歴史学』というかたちになった。

●倉地克直(くらち・かつなお)

1949年、愛知県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。専門は日本近世史。現在、岡山大学教授。主著書に『徳川社会のゆらぎ』『江戸文化をよむ』『「性と身体の近世史』などがある。

▲top

掲載の記事・写真・イラスト等すべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます
Copyright (C) 敬文舎 All Rights Resereved.