『日本近代の起源』
ーー3.11の必然を求めて
小路田 泰直
近代は、民主主義のようにみえるが内実は官僚支配である。その秘密を解き、近代国家を作り上げてきた「官僚」たちの実態に迫る。
◉第1章 近代を定義するための理論的前提
◉第2章 近代のはじまりについて
◉第3章 近代とはなにか
◉第4章 立憲国家の確立
◉第5章 国家=利益共同体説の矛盾
◉第6章 二〇世紀型国家からの逃走
◉第7章 「ヒロシマ」から「フクシマ」へ
<私の近代史と「3・11」からの歴史学>
【「近代」は、鎌倉時代にまで遡って解く】
近代民主主義の成立を考えるとき、一八、一九世紀に起きた市民革命から考える人が多い。
しかし忘れてならないのは、その市民革命の前に、宗教改革があったことである。
宗教改革によって、人の救済は神のみぞ知る、人は如何なる手段を尽くしても、それを知り得ないとする考え方が定着したとき、近代がはじまった。そのことを深く考える人は少ない。資本主義の発生を説くのに、プロテスタンティズムの成立まで遡った、マックス・ヴェーバーは例外だ。
しかし、近代の複雑さを真に理解しようと思えば、それは行わなくてはならない作業である。輝かしい啓蒙主義の時代だけに焦点をあてているわけにはいかない。
日本史でいえば、鎌倉時代まで遡って近代を解かなくはならない。いうまでもなく、鎌倉時代こそ、この国において、人は如何なることをしても悟れないとの言説が生まれ、広がった時代だからである。
法然や親鸞の名を思い出していただければ、それがわかる。人は悟れないから極楽への往生をめざし、阿弥陀如来の救いに身をゆだねたのだ。
【「3・11」「フクシマ」は、やはり近代の必然だった】
我々はもう遠の昔に、近代を手放しで言祝げない時代に入っている。
戦争・貧困・環境破壊など、さまざまな負のイメージをいだかせるキーワードが、我々の身辺にあふれている。そこに「3・11」「フクシマ」という新たなキーワードが最近付け加わった。
「3・11」「フクシマ」は偶然だったのか。やはり近代の必然ではなかったのか。
この国は、戦時中アメリカと原爆開発を競争し、敗戦後、アメリカの核の傘の下、積極的に「核の平和利用」に取り組んできた。既に百年近く、核に呪縛されつづけた国だ。
そのことの必然的帰結として、今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故はおきた。
【「核」の呪縛からの脱出を】
ならば、なぜこの国はそれほどまでに深く、核に呪縛されるのか。考えてみなくてはならない。
そのとき、その呪縛する運命的な力の根源を見極めるほどに、深く考えてみなくてはならない。この国の近代を丸ごと洗いざらしにする必要がそこから生じる。
ならばやはり、宗教改革から近代は説き起こすのが常道だろう。
その意味で、鎌倉時代以降をこの国の近代とし、そこからはじまる長いこの国の民主主義形成史の全体を解き明かしてみようというのが、本書の課題となる。
「3・11」や「フクシマ」は、まさにこの国の民主主義の欠陥の現れだったのだから。
●小路田 泰直(こじた・やすなお)
1954年生まれ。奈良女子大学STEAM・融合教育開発機構特任教授。研究分野は 日本近代史。
おもな著書に『日本史の思想― アジア主義と日本主 義の相克』(柏書房)、『「邪馬台国」と日本人』(平凡 社新書)、『日本近代の起源―三・一一の必然を求めて』(敬文舎)、 『日本史の政治哲学―非西洋的民主主 義の源流』(かもがわ出版)がある。 專門分化し視線では見えないものが、地域や生活の場にはある。それを読み解くための歴史学を今は目指している。