『境界史の構想』
村井 章介
古来、日本列島の人びとは朝鮮半島や東アジアの人びとと交流してきた。日本海を中心とした中世の「境界」と「周縁」を考える。
◉境界を考える意味
◉境界のさまざまな顔
◉人の境界、境界の人
◉境界を生きる(1)
―東(北)の境界空間
◉境界を生きる(2)
―西(南)の境界空間
◉境界と中心の古琉球
◉近世・近代境界史序説
<境界だらけ>
私の好きなテレビ番組に、①「はじめてのおつかい」(日本テレビ系)と②「ローカル路線バスの旅」(テレビ東京系)がある。どちらも年に二、三回しか放映されない「スペシャル」番組で、可能なかぎり「やらせ」を排除しているのがウリだ。
①は三、四歳の幼児が、親からはじめておつかいを頼まれ、泣きながら奮闘するなかで、一歩成長するようすを、本人に覚られないように撮ったもの。頼まれた品とはちがう物や好きなお菓子を買ってしまったり、きょうだいが励ましあったりいさかいを起こしたり。作りごとではないハプニングに、見ているこちらも笑い、涙する。
親の庇護のもと慣れ親しんだ空間から、一歩外の世界に踏み出す瞬間の葛藤をとらえたという意味で、境界を考えるうえでも興味ぶかいドキュメンタリーだ。
わが家と親の姿が見えなくなる地点を皮切りに、わかれ道、信号と横断歩道、橋、バス停や駅、頼まれた物を買う店など、幼児にとって少しずつ意味の異なる境界が、つぎからつぎへと現れる。帰り道は、疲労と荷物という、あらたな障害が加わる。放映されるのは採録したなかで一〇分の一程度というから、境界を超えられず挫折した例もあるのだろう。
子どもらしさを笑って見ているが、はじめて一人で外国の空港に降りたって、乗り継ぎに失敗したときなどは、似たような状態だったなと、記憶がよみがえる。
②は、レギュラーの男性二人と毎回替わる「マドンナ」一人の三人組が、決められた起点から終点めざし、三泊四日以内で、路線バスだけを使って旅をする、というもの。路線がつながらなければ歩く、あらかじめ情報を得ておくことや高速バスの利用は禁止、などのルールがあり、ゴールできなかった回も一再ではない。
こちらも①と同様、思いがけないハプニングが楽しめるのだが、それに加えて、現代クルマ社会が交通事情をいかに変貌させてしまったかが、随所にうかがええて、興味が尽きない。路線がつながらない難所は県境を超える部分に多い。とくに山脈が県境のばあい、山道をけっこうな距離歩くことになる。隣県の運行状況は聞いてもわからないことが多く、地形だけでなく情報の面でも県境が大きな境界をなしていることがわかる。
また、コミュニティバスを使う区間も多いが、生徒の登下校時のみの運行だったりする。電話で依頼があったときだけ運行するオンデマンドバスの存在も、この番組で知った。地域の公共交通をかろうじて支えているものを通じて、地域社会の現状が浮かびあがる。
まこと人の世は境界でみちている。『境界史の構想』を書いていて、境界論につながらないテーマなんてあるのか、と感じた。結果は、いろんなテーマをぶちこんだごった煮のような本になってしまった。境界を超える旅のわくわく感を、本書から少しでも味わっていただければ幸いである。
●村井 章介(むらい・しょうすけ)
1949年、大阪市生まれ。立正大学教授、東京大学名誉教授。専門は日本中世史・東アジア交流史。文学博士。主な著書に『アジアのなかの中世日本』『境界をまたぐ人びと』などがある。