『近現代の皇室と皇族』
小田部 雄次
国民生活と深く結びついた存在となっている皇室を、客観的史実に基づいた未来志向の皇室論として概観する。
◉第1講 皇室・皇族とはなにか
◉第2章 憲法と典範の制定
◉第3章 戦前・戦後の皇室経済
◉第4章 戦前の皇族と社会
◉第5章 象徴天皇制と皇室
◉第6章 戦後皇室を支える社会基盤
◉第7章 「皇室と皇族」研究とはなにか
<現代史は学問になりにくい>
一九九四年に発表した「神護寺薬師如来像研現代史は学問になりにくい安時代初期の山と薬師──」(『美術研究』三五九号)という論文で仏像と空間の関係に着目して以来、仏像を空間のなかに置最私が大学院生のころ、「現代史は学問になりにくい」と言われていた。生存者や利害関係が多く残っており、歴史となるには時間が浅いという。一次史料が公開されていないのも大きな理由だった。
しかし、だからこそ私は、現代史研究に興味を持った。現実政治とまったく離れたところで、あれこれ議論したり、調べ歩いたりするのは、味気ないと思った。若さの熱気もあった。
大学院時代から、まだ三十年ほどしか経っていないが、このごろどうも「現代史は学問になりにくい」と感じはじめている。やはり生存者や利害関係が存在していることが主原因と思う。それみたことかと言われそうだが、それほど無駄な三十年だったとは思っていない。
<日記を読み解く手法から>
私の初学は、日本ファシズム研究だった。
昭和初期の内務官僚の日記を読み解きながら、当時の文化運動のファッショ化の動態を追った。次いで、東京裁判資料として押収されていた徳川義親侯爵の日記と出会い、華族と南方進出をテーマに一冊の本をまとめた。
このころから、個人の日記を読み解いて時代を描く手法が私のものとなり、旧皇族の梨本宮妃伊都子の日記を読む機会を得た。
伊都子妃の日記は七七年分あり、日記以外の手記もふくめると厖大な記録である。時期も明治初期から戦後までと多くのテーマで満ちている。
こうした新史料の発掘とその分析を通じながら、近現代の皇室についてのイメージを固めていった。
<盛んな皇室論議>
他方、昭和の終わり、平成の婚儀、お世継ぎ問題などで、一般国民の皇室への関心は高まり、玉石混淆ではあるが、公開される皇室情報の量は増えた。
男系をめぐる近年の皇室議論も、皇室研究に拍車をかけた。
もっとも、この議論は、皇位継承者を男系に限定するか、女系も容認していくかという単純なものではない。現在の皇室が推進してきた「国民とともにある皇室」「開かれた皇室」の路線を放棄して、戦前型の専制的絶対王制的天皇制を復活させようという「宮廷クーデター」的側面も持っている。
男系推進派のなかには、現皇統の継承ではなく、かつて分岐した傍系の旧宮家を擁立し、そうしたのちに憲法改正をして天皇元首化を法制化しようとしている人びとがおり、男系による象徴天皇制の継承発展をめざしているわけではない。
●小田部 雄次(おたべ・ゆうじ)
1952年、東京都生まれ。立教大学文学研究科博士課程満期退学。現在、静岡福祉大学教授。専門は日本近現代史、とくに近代皇室研究。