『江戸絵画の非常識』
ーー近世絵画の定説をくつがえす
安村敏信
これまで「常識」とされてきた江戸時代の絵画の中から13の問題を取り上げ、綿密な考証を施しつつ反駁する。
◉俵屋宗達の『風神雷神図屏風』は、晩年に描かれた傑作である。
◉光琳は宗達を乗り越えようとして、琳派を大成した。
◉江戸狩野派は粉本主義によって疲弊し、探幽・常信以降は見るべきものがない。
◉応挙が出て京都画壇は一変した。
◉秋田蘭画は秋田で描かれた。
◉封建社会の江戸では、閨秀画家の活躍の場は少なかった。
◉上方で大成した南画は、谷文晁によって江戸に広められた。 ほか
<非常識のすすめ>
よく老人は若い世代への苦言として「若いもんは常識を知らん」とおっしゃる。 たしかに、社会生活をしていくには、その社会の常識を知ったうえで行動を起こさないと、人に迷惑をかけたり、とても失礼な行いとなってしまうことが多い。 常識は、そうした意味では重要である。
ところで、私の旧著『美術館商売』(勉誠出版)には、「美術館の常識は非常識」という項がある。これは、美術館業界でそれまで常識とされていたことが、じつはお客さんに「美術なんて高尚で、とても私には…」と言って来館を拒絶させる原因となっていることを説いたものだ。 たとえば、キャプションひとつをとってみても、従来の美術館の常識に従えば「楫取魚彦筆登龍門図 紙本墨画一幅」というのだが、まったく知識のない人にとっては何が書いてあるかちんぷんかんぷんである。それならば題名を現代語に代えて「滝登りは楽しいぞ」とでもすればよいという提案だ。
また、日本の古美術品は、明治以前は屏風にしろ掛軸にしろ家で使う調度品であったのだから、ふたたび調度品に戻したらよかろう。ということで、屏風をガラスケース内に陳列せず、座敷をつくって靴を脱いで上がってもらい、そこに屏風を露出展示した。 こうすると、子どもたちは大喜びで細部を見はじめ、大人は日本絵具の材質感を身近に感じることができるのである。 いずれも板橋区立美術館で試み、大好評である。 同様のことが日本美術史にもあるのではないだろうか。ことに、私の専攻する江戸時代美術は、研究史も浅いわりには、常識とされていることが多くあるように感じられた。そこで思い切って、その常識を根本から改めて考え直すことを試みたい。そう思っていた矢先に、「私の最新講義」というシリーズに書いてみないか、というお誘いを受けた。
私は渡りに舟とばかりに執筆を快諾し、構想を練った。結果は、一三の常識について自分なりに検討を加え、その常識が正しいかを判断する。そして最後に、江戸絵画史が未だ着手していないジャンルに対して、その手がかりとなるような事項を列挙してみた。まるで辞典のようだと思われるかもしれないが、じつは簡便な辞典そのものがないという状況なのだ。
果たして、私の判断が正しいかどうかは、読者の皆様に任されている。題名は『江戸絵画の非常識』。そこで皆様にも非常識を恐れないことをおすすめする次第である。
●安村 敏信(やすむら・としのぶ)
1953年、富山県生まれ。東北大学大学院修士課程終了後、板橋区立美術館に勤務し、長らく同館長をつとめる。江戸絵画を中心にユニークな展覧会を企画、実施し、注目を浴びる。元板橋区立美術館館長。